笠置山 直純寺
慶長五年九月関ヶ原役時、豊臣方につく県藩宮崎城は徳川方につく伊東藩に攻められ落城し、城代権藤平左衛門種盛以下全員討死した。種盛の末子永伝は長男門解とともに出家し真宗の僧となり、正保四年(1647)県藩藩主有馬直純公の後援によって現在地に寺院を建立し、寺号を直純寺とした。
江戸後期には、浄土真宗禁制であった島津藩の隠れ念仏との関係が深く、本願寺と島津藩内の念仏講とをつなぐ役割を果たしていた。
明治六年、廃仏毀釈によって解体された本堂も、明治二十年代には再建され、現在に至る。
平成九年、創建三百五十年慶讃法要を実施した。
寺院情報
寺名(ふりがな) | 笠置山 直純寺(かさぎざん じきじゅんじ) |
住職(ふりがな) | 前川 俊洋(まえかわ としひろ) |
住所 | 宮崎市瓜生野155 |
電話番号 | 0985-41-0675 |
ホームページ | |
墓地・納骨堂の有無 | 無し |
駐車場 | 20台程度 |
地図 |